研究開始前

 
2009年11月10日 (財)航空輸送技術研究所センター設立20周年記念講演(東京)において、Erik Hollnagel教授(MINES Paris TEC)が「安全文化、セーフティマネジメントとレジリエンス・エンジニアリング」について講演されました。
 (財)航空輸送技術研究センター設立20周年記念
 航空安全フォーラム -安全文化を考える- Presentation資料 Index
 (http://www.atec.or.jp/Forum__09__Presen_Index.html)
講演1:「安全文化、セーフティマネジメントとレジリアンス・エンジニアリング」
・Eric Hollnagel 博士 MINES ParisTech(パリ国立高等鉱業学校):英文版
・和訳版 (早稲田大学理工学術院 小松原明哲教授に監修いただきました)
 
2012年4月14-17日 “International Forum on Quality & Safety in Healthcare Paris 2012”, Remote Participation Programの一環として、Erik Hollnagel教授(University of Southern Denmark, Denmark)、Göran Henriks先生(Jönköping County Council, Sweden)、中島和江病院教授(阪大病院中央クオリティマネジメント部)、高橋りょう子助教(阪大病院中央クオリティマネジメント部)で、「医療におけるレジリエンス・エンジニアリングの概要」について、意見交換を行いました。
中島 安全との関連において、レジリエンス・エンジニアリングとは何ですか。
ホルナゲル  学問分野としてのレジリエンス・エンジニアリングがスタートしたのが2000年頃ですので、今から約10~12年前になりますが、レジリエンス・エンジニアリングは、安全に対する従来の考え方の代替策として提案されました。なぜなら、多くの分野では、安全に対する従来の考え方では限界であることが感じられたからです。レジリエンス・エンジニアリングは基本的に、物事がどのように機能し、どのようにうまくいくのかを理解したうえで、それを推進していく試みです。
 その後まもなく、これがさまざまな分野に応用できるのではないか、ということになりました。最初の段階からレジリエンス・エンジニアリングのグループに医師を参加させ、2年前からは、まずスウェーデンやカナダ出身の医師や看護婦を中心にレジリエンス・エンジニアリングをヘルスケア・システムに応用することに、より意図的な注目がなされるようになりました。そして、レジリエント・ヘルスケアとして系統立てることが自然ではないかという結論に至りました。「ヘルスケアにおけるレジリエンス・エンジニアリング」では長いので、レジリエント・ヘルスケアと呼ぼうということになりました。
 このアイディアはヘルスケアの安全と質について、なぜ物事が機能するかを理解し、その仕組みを改善する方法を模索するという観点で実に、ヘルスケアに注目していくものです。
中島 従来の安全へのアプローチと新しいレジリエンスアプローチの主な違いは何ですか。
ホルナゲル  両者の違いですが、基本的にヘルスケア及びその他の業界における従来の安全のアプローチでは、「うまくいかないもの」に注目しています。アクシデントやインシデント、ニアミスに注目し、器具の故障や不具合、人為的・組織的なミスや不全という観点から理解しようとしていました。つまり、事故の原因をうまくいかなかったものとして特定することができれば、その原因を取り除くことで将来的にそうした事故を防ぐことができる、という考え方です。なぜなら、この考え方に基づくと、原因をなくせば、そこから必然的に導かれる結果も生じません。これは大変古い考え方で、おそらく数千年も前からのものでしょう。約30年前までは有効な考え方でした。対象となるシステムが、何が起こっているかを理解できるくらいシンプルなものであれば、この考え方は非常に有効です。
 しかし、ヘルスケアをはじめ、多くの分野では、需要の増加や生産圧力の増大、技術の複雑化、時間的圧力の増大により、業務全体がどんどんわかりにくくなり、状況が見えにくくなっていました。つまり、事故の原因を見つけようというシンプルなアプローチではもう通用しなくなったのです。その代わり、なぜ失敗するのかではなく、なぜうまくいくのか、その仕組みを理解しなければなりません。ですから、インシデント・レポートやアクシデント・レポートなどを通じてうまくいかない点に注目し、その原因や根本原因を探すようなことは、レジリエント・ヘルスケアでは重視しません。
 その代わり、日々の業務に注目しながら、物事がなぜ、どのように機能するかを理解することを重視します。これを重視する理由は、日々の業務がうまくいくのは、文字通り指示や手順に従っているからではなく、指示や手順を状況に合わせて賢く調整することができるからだということを認めていかなければならないからです。こうした「ばらつき」は物事がうまくいかない原因なのではなく、「ばらつき」があるからこそ、たいていの物事はうまくいくのです。
中島 ヨラン先生、ご追加することがありますか
ヨラン  はい。簡単な例からお話しましょう。私が初めてゴルフを習おうと思ったときの話です。コーチが側に立ってくれているわけですが、例えば思った方向にボールが飛ばないとき、コーチは、「こっちの肩に力が入っているけど、私はこちらの肩に力を入れます。正しい方向に目をやりながらボールを見て、神経を集中させます」などとうるさいわけです。ゴルフを学ぶのは本当に難しいと思いました。スポーツは身につかないのではないかと弱気になってしまいました。その後コーチが変わったのですが、新しいコーチは、一番大事なのは、リラックスして、自分がしていることの全体像をみて、ボールでどこを狙うのかのビジョンを描き、ボールを見て、そこに落とすことだ、と言うのです。そのときからゴルフが楽にプレーできるようになりました。さて、日々の介護に関わる人々やプロたちは、こうしたことが非常に上手です。例えば作業療法士は患者が持つ能力や、患者が使えるスキルを見つけようと努めます。しかし作業療法士は、ケア分野では比較的新しい職種です。私たちの周りでは未だ、昔の教育方針に沿って看護師や医師が培った古いリスク分析型のアプローチが主流です。したがって、時間はかかりますが、今後大きく発展するだろうと自信をもって言えます。病気を治療する代わりに、いかに予防するか、いかに健康を維持するかに注目するのは、発展のひとつの兆候だと思います。
中島 医療以外の産業でレジリエンス・アプローチを取り入れた例がありますか。
ホルナゲル  はい。このアプローチを基本的に応用しようと、パフォーマンスのばらつきを理解し、何にばらつきが生じるかを予期して、起こりうることに備えられるよう取り組んでいる業界をいくつかご紹介します。何かに対して備えがあれば、より早急で効果的な対応ができるからです。例えば、私が今関わっている業界に、航空管制があります。航空管制業界とは、これらのアイディアを実践しようと長い間協力してきました。一緒に取り組んだ企業もあります。
 例えばノルウェーの海上油井企業と一緒に働く機会がありました。彼らは業績に非常に関心が高く、あらゆる場所を対象に取り組んでいます。水深の深い場所で重大事故が起こっていますからね。もちろん誰もが事故を回避することに注目していますが、彼らは事故を回避することに関心があるだけでなく、生産性を高め、予期しない出来事に驚くことがないよう、作業をどのように改善できるかにも関心を寄せています。
 3つ目の例は、米国系の大手国際企業です。工場や都市向けの発電に使う大型のパワータービンを扱っている企業です。こうした機器の保守の準備と計画は非常に複雑なプロセスです。たとえ保守といっても毎回違ったプロセスをたどるのですが、パワータービンは巨大な機械で、1つずつ微妙に異なります。あとは、現在はカナダとスウェーデンを中心に、ヘルスケア業界でも非常に関心が高く、実際に取り組みがたくさんありますが、他国の人々とも接触があります。他にもこのアイディアに関心を示している人たちがいて、成功例を教えてくれたり、抱えている問題も話してくれたりします。
中島 患者安全の領域でレジリエンス・アプローチを取り入れた例はありますか。
ホルナゲル  はい、あります。現在私が働いているデンマークでは、まずインシデントに注目してきました。目的は個々のインシデントを理解するためではなく、さまざまなインシデントに注目して、インシデントのばらつきは何か、何が起こるのか、生じた状況はどうかなど見ることです。現在注目しているケースは、精神病院で医師1人と看護師複数が患者に暴行されたという非常に印象的なものでした。しかしここで私たちが注目しているのは、そのケース自体ではなく、何が起こったか、です。日々の作業手順に注目してみたのです。毎日どのような手順をとっていたか、毎日の手順のどこにばらつきがあったのか、です。なぜなら、そのほうが、この残念な事件のいきさつを理解する土台として優れているからです。
 他の病院では、医薬品を準備する慣行などに注目してきました。毎日の業務と(何かが発生したら)どのように発生したかに注目し、そこから学ぼうというものです。プレゼンテーションで言及したとおり、イギリスでは実際にそこに注目し、うまくいったことから学ぶ方法に積極的に目を向けていくような調査がいくつかあります。こうしたケースの多くでは、何かが起こったときに初めて物事に注目するのではなく、「今日は何事もなく終わった」というような日常において物事に目を向けていくことが大事です。普なら「何事もなく終わったのに、なぜ注目するのか」ということになりますが、私はむしろ「何事もなかったからこそ注目すべきなのだ」と思っています。
中島 レジリエンス・アプローチでは普段行っていることに対する観察が非常に大切なのですね。
ホルナゲル  そうですね。観察、つまり次の仕事に急いで、次から次へと作業を進めて、なぜうまくいったかが少ししか反映されていないというのではなく、自分の行動に注意を払い、実際に起こることに気付いていくことですね。
中島 ヨラン先生はレジリエント・ヘルスケア・ネットワークのメンバーですが、医療におけるレジリエンス・アプローチの実践について何か考えをお持ちですか。
ヨラン  私たちが行っている公のケアワークで生じたある事例のことを考えています。糖尿病治療でのパフォーマンス改善に取り組んでいました。スウェーデンでは糖尿病患者の待遇状況で大きな差異が見られます。一部の診療所やケアセンターは非常に優れていることがわかったので、彼らがどんなことをしているかを調査したところ、最初から顧客や患者と共にこの考え方を実践していたことがわかったのです。毎年のコントロールが近づくと患者に手紙を書き、患者にしてもらいたいプロセスを説明します。手紙の冒頭は「受診の時期になりました。ぜひお越しください」という感じですが、その後は「お越しの際は、次の5つを用意していただきたいと思います。これら5つを用意してくださるようご協力いただけますでしょうか」と。そして最後に、「お越しいただけない場合は」などと続くわけです。まさにベストプラクティスなのですが、ここでは患者が評価の指標となっています。5つのものがそろえば、患者は積極的に参加していることになります。あまり成果を出していないケアセンター見てみると、1つや2つ欠けていることが多いのです。今私たちは、「バンドル(束)」という考え方で作業プロセスをデザインしようとします。すべてが終わらないうちは、準備ができたことにはなりません。これは、従来の技術的アプローチでは何をするにしてもスピードアップを目指すので、生産性を十分に高めることができないと判断されるもしれません。でも、よくみてみると、前者のほうがより生産的なのです。なぜなら、二次的な作業が不要になるからです。テストが1つ足りないことでセンターに患者を呼び戻す必要がないのです。
 現在私たちはこれを結腸癌治療で実施しています。ERAS(術後回復力強化)というプログラムを実施しており、毎回28のものを用意させています。これにより患者が病院で費やす治療日数に変化が生じました。入院日数は結腸癌の手術後7~9日だったのが、術後4、5日で帰宅できるようになったのです。これはうまくいったときの事例に注目したためなのです。糖尿病は総合診療で扱います。結腸癌は入院治療になります。
高橋 うまくいっていることは通常、把握しにくいのですが、何から始めたらよいですか。
ホルナゲル  私にとっては、いわば、偏見なく受け入れることだと思います。うまくいくことには注意しないということをまさによく言い当てたと思います。「順応」という心理的メカニズムがあります。同じことを繰り返すと、例えば同じ音を繰り返し聞くと、しばらくすればもうそれが聞こえなくなるというようなものです。私たちは順応します。慣れてしまうのです。これは活動にも当てはまります。うまくいくことは、うまくいく、という意味でどれも似ていますから、うまくいかなかったものだけが異質なので目立ちます。また人間として、動物としての心理上、私たちは他と違うものに注意を向けます。だからここで、意志の力と知能を使って、「失敗しなかったことにも注目するべきだ。うまくいくことに注目して、なぜうまくいくのかを理解しようとすべきだ」と言い聞かせなければなりません。
 これには後ろ向きの見方があることも知っています。なぜなら、あなたのご指摘のとおり、「うまくいっているならうまくいっているのだから、さっさとほかのことをしよう」と人は言うのです。でもビジネスや業界では、うまくいったことに注意し、うまくできたことをあえて理解しようと努めることで将来的な向上につながることを示す事例がたくさん得られています。だから、現在の努力は将来報いとして自分に返ってきます。一方、今努力をしないと、向上はありません。作業はしていても向上していませんし、思いがけず悪いことが起きる可能性だってあるのです。
中島 見えない「うまくいっていること」を把握する良い方法はありますか。
ヨラン  人を助ける方法はたくさんあると思いますが、私たちは日々、ノルマをなるべく早く終わらせて家に帰り、何か別のことをしようということが多いと思います。他の顧客のプロセス、患者のプロセスを見ずに、自分のことばかりに努力を費やしているのです。ですから、まずはどんな職場でも「自分は患者の見方の何を共有できるだろうか」という問いかけが望ましいと思います。彼らが私たちのシステムを通じてどんな道をたどるのかを見ること、これが第一歩です。そうした会話を持ち、顧客の視点で考えることができるようになれば、それは、一番難しいこと、つまり別の見方で物事を捉えるということができたことになります。
中島 本日はレジリエンス・エンジニアリングに関する専門的知識や経験を教えて下さりありがとうございました。日本の医療安全の領域にレジリエンス・アプローチを導入する際に大変参考になります。
 
2013年3月7日 「ホルナゲル教授 大阪大学医学部附属病院ご来訪及びご講演」
08:10-09:30 手術部 見学
南 正人 手術部 部長
10:30-11:30 高度救命救急センター 見学
大西 光雄 高度救命センター 講師
13:30-14:30 集中治療部 見学
藤野 裕士 集中治療部 部長
14:30-16:30 講演&ディスカッション
座長: 中島 和江(中央クオリティマネジメント部 部長・病院教授)
“An Overview of Patient Safety at Osaka University Hospital”
 「大阪大学医学部附属病院における医療安全の概要」
演者: エリック・ホルナゲル(南デンマーク大学 教授)
“An Introduction to Resilient Health Care”
 「レジリエント・ヘルスケア 入門」
小松原 明哲(早稲田大学理工学術院 創造理工学部 経営システム工学科 教授)
“Preventing Accidents Caused by Resilient Behavior”
 「レジリエントな行動による事故防止」
原田 賢治(東京大学大学院医学系研究科 医療安全管理学講座 特任助教)
“Development of a facilitation training course by using patient safety
 role-play simulation – To find and Improve Good Adaptation”
 「ロールプレイを用いた医療安全促進トレーニングの開発 ― 最適化への模索と向上」
橋本 重厚(福島県立医科大学附属病院医療安全管理部 部長・病院教授)
“Activities of Department of Clinical Quality Management
 In Fukushima Medical University”
 「福島県立医科大学の医療安全活動」
小泉 俊三(財団法人 東光会七条診療所 所長)
“Japanese Society for Quality and Safety in Healthcare”
 「我が国における医療の質と安全の取り組み」
阿部 隆徳(阿部国際総合法律事務所 弁護士)
中島 伸(独立行政法人国立病院機構大阪医療センター 脳神経外科 科長)
服部 高子(中央クオリティマネジメント部 特任助教)
高橋 りょう子(中央クオリティマネジメント部 助教)
 
2013年5月10日 平成25年度国公私立大学附属病院医療安全セミナーに、安全の世界的大家である南デンマーク大学のエリック・ホルナゲル教授をお招きし、医療安全のパラダイムシフトになると考えられる「レジリエンス・エンジニアリング」について学習しました。
報告冊子はこちら
Ⅰ.Safety-ⅠとSafety-Ⅱ 患者安全に関する新たな視点
座長: 芳賀繁(立教大学現代心理学部心理学科 教授)
演者: Erik Hollnagel(University of Southern Denmark 教授)
Ⅱ.医療安全のヒューマンファクターズ -何に取り組むべきか-
座長: 原田賢治(東京大学大学院医学系研究科医療安全管理学講座 特任助教)
演者: 小松原明哲(早稲田大学理工学術院創造理工学部経営システム工学科 教授)
Ⅲ.安全文化についてもう一度考えてみる
座長: 小松原明哲(早稲田大学理工学術院創造理工学部経営システム工学科 教授)
演者: 芳賀繁(立教大学現代心理学部心理学科 教授)