1-H-3-3第17回医療情報学連合大会 17th JCMI(NOV,.1997)

統計的意思決定理論に基づく診断プロセスのシミュレーション
労作性狭心症を例として

中村 考志 , 松村 泰志 , 岡田 武夫 , 桑田 成規 , 岡本 祐二 , 中野 祐彦 , 武田 祐 , 井上 通敏
大阪大学医学部医療情報部 , 国立大阪病院

Simulation of diagnosis process based on the statistical decision making theory

The case of diagnosis of angina pectoris

Takashi Nakamura , Yasushi Matumura , Takeo Okada , Shigeki Kuwata , Yuji Okamoto , Hirohiko Nakano , Hiroshi Takeda , Michitos Inoue

The Department of Medical Imformation Science,Osaka University Medical School(nakamura@hp-info.med.osaka-u.ac.jp) , Osaka National Hospital

Abstract: Diagnosis processes are generally in doctor's mind thus difficult to criticize objectively. We present here the diagnosis process model based on the statistical decision making theory, and apply this theory to the diagnosis of angina pectoris. In the diagnosis process, some treatments and some examinations can be selected as an action. The cost of the action of performing examination is calculated by the expected value of the cost when most proper strategy were taken in the afterward process. This value can be obtained by the reflexive calculation. The action with the lowest cost is determined as the most proper one. The diagnosis process for angina pectoris demonstrated by the system using this method is similar with that of the expert physician. Thus this model can well explain the diagnosis process.

Keywords: diagnosis process, angina pectoris, statistical decision making theory



1.はじめに

同じ疾患の罹患の有無を診断する場合、同じ医師でも患者によって採られる診断プロセスは異なる。また、同じ患者であっても診断する医師により診断プロセスが異なる場合もある。それぞれのケースで採られる診断プロセスの根拠は、医師の思考の中にあり、第三者がその理由を知るのは難しい。また、同一患者で採り得る診断プロセスの内、どれが最も妥当なものであるのか評価することはできない。
 複数の選択肢が考えられる場合に、その中から最も合理的な行動を客観的に選択する方法として統計的意思決定理論がある。この理論ではそれぞれの行動を採った場合に起こり得る事象のそれぞれの発生確率と損失との積(期待損失)を計算し、その和の最も小さい値をとる行動が最適とされる。
 今回、我々は労作性狭心症の診断を例として、最適な診断プロセスをシミュレートするプログラムを作成し、この理論の正しさの検証を試みた。

2.方法

 
 現実の医療の中では、労作性狭心症は、胸痛等の症状に加え、エルゴ負荷心電図(エルゴ)、運動負荷心筋シンチグラム(シンチ)、心臓カテーテル(心カテ)の検査によって診断されている。そこで、今回、問診による情報を得た結果、患者が労作性狭心症である主観確率が得られることを前提として、これらの検査を施行する順番及び診断を中断する(否定的と判断することによる)ポイントを以下の方法により求めた。
 診断プロセスが終了した時点で採られる行動(治療)は、無治療(a0)、薬物療法(a1)、侵襲的治療(a2)の3つがある。患者は、実際に労作性狭心症であった場合(d1)、なかった場合(d0)について、それぞれの行動を採った時の損失は以下のように考えられる。
 c0,0; 自然歴 (=0)
 c0,1; 疾患を放置した場合に発生する損失
 c1,0; 薬物治療のコスト(診察の手間、薬の副作用、費用等)
 c1,1; 薬物療法を施行した場合に発生する損失(心事故等)と薬物療法のコストの総和
 c2,0; 侵襲的治療のコスト(リスク、治療の手間、費用等)
 c2,1; 侵襲的治療を実施した場合に発生する損失と侵襲的治療の総和 
 (ここで、ci,jは、djのもとでの行動aiを採った場合の損失を表す。)
 問診後に疾患を疑う主観確率(Pd1,q)の下での最適行動の選択は、以下の計算により求める。問診後に採りうる行動は、前述のa0、a1、a2に加え、エルゴ(a3)、シンチ(a4)、心カテ(a5)の検査を施行する行動が考えられる。これら各検査を施行する場合の損失(手間、リスク、費用等)を、それぞれc3、c4、c5とし、またそれぞれの診断精度(感受性、特異性)は文献よりエルゴ(65%、90%)、シンチ(80%、90%)、心カテ(100%、100%)とした。
 それぞれの行動をとった場合の損失は次の様に計算される。ここで、Pd0,q=1-Pd1,qである。
 a0,q; c0,0 * Pd0,q + c0,1 * Pd1,q
 a1,q; c1,0 * Pd0,q + c1,1 * Pd1,q
 a2,q; c2,0 * Pd0,q + c2,1 * Pd1,q
 a3,q; エルゴを実施した場合の最小損失
 a4,q; シンチを実施した場合の最小損失
 a5,q; 心カテを実施した場合の最小損失
 ここで各検査を実施した後、最適な行動を選択した場合の損失(最小損失)の計算は、以下のように行った。ここで、Pxi,jはdjの患者が検査x(エルゴ:e、シンチ:r、心カテ:t)を実施した場合に結果Iが得られる確率を、Pxiは検査xで結果Iが得られる確率を表す。
 エルゴを行った時のそれぞれの結果の出る確率は、
 Pe0 = Pe0,0 * Pd0,q + Pe0,1* Pd1,q
 Pe1 = Pe1,0 * Pd0,q + Pe1,1* Pd1,q
と表され、e0、e1の結果の下でのd0 , d1の確率は、
 Pd0,e0 = Pe0,0 / Pe0 、Pd1,e0 = Pe0,1 / Pe0
 Pd0,e1 = Pe1,0 / Pe1 、Pd1,e1 = Pe1,1 / Pe1
となる。ここでe0の結果だった場合、それぞれの行動をとった時の損失は次の様に求められる。ここでai,ejは、ejの結果が得られた下での行動aiを表す。
 a0,e0; c0,0 * Pd0,e0 + c0,1 * Pd1,e0 + c3
 a1,e0; c1,0 * Pd0,e0 + c1,1 * Pd1,e0 + c3
 a2,e0; c2,0 * Pd0,e0 + c2,1 * Pd1,e0 + c3
 a4,e0; 更にシンチを実施した場合の最小損失
 a5,e0; 更に心カテを実施した場合の最小損失
 尚、ここでエルゴを再度実施する行動は除いた。同じ検査を繰り返す場合、検査後の事後確率は変化せずに検査にかかるコストのみ増加することになり、最適行動とは成り得ず、また本法では、複数の検査を連続して実施する時にはその条件付き独立性を仮定している為、同一検査の繰り返しは自明の事として除く事にした。
 上記のそれぞれの行動の損失の計算の中でも、更にシンチや心カテを実施した後に最適な行動を選択する場合の損失の計算は次のステップに委ねる事になる。また、ここでの最適行動は、求められた損失の内で最も小さい値をとる行動となる。
 例えば、ここでシンチを実施した場合を仮定する。r0、r1それぞれの結果の出る確率は、条件付き独立性を仮定して
 Pr0 = Pr0,0 * Pd0,e0 + Pr0,1* Pd1,e0
 Pr1 = Pr1,0 * Pd1,e0 + Pr1,1* Pd1,e0
と表され、r0、r1の結果の下でのd0 , d1の確率は、
 Pd0,r0 = Pr0,0 / Pr0 、Pd1,r0 = Pr0,1 / Pr0
 Pd0,r1 = Pr1,0 / Pr1 、Pd1,r1 = Pe1,1 / Pr1
となり、ここで、r0の結果だった場合の最適行動は、
 a0,r0; c0,0 * Pd0,r0 + c0,1 * Pd1,r0 + c4
 a1,r0; c1,0 * Pd0,r0 + c1,1 * Pd1,r0 + c4
 a2,r0; c2,0 * Pd0,r0 + c2,1 * Pd1,r0 + c4
 a5,r0; 心カテを実施した場合の最小損失
となる。更に、エルゴで e0、シンチで r0の結果が出た後に心カテ検査を施行し、t0、t1の結果が得られた場合、それぞれd0、d1であることが確定する。
 結果がt0の場合の損失は、
 a0,t0; c0,0 + c5
 a1,t0; c1,0 + c5
 a2,t0; c2,0 + c5
となり、その最小値が、t0の下での最小損失となる。同様に、t1の下での最小損失が求まり、心カテを実施した場合の最小損失が
 min( a0,t0 , a1,t0 , a2,t0 ) * Pt0 +
 min( a0,t1 , a1,t1 , a2,t1 ) * Pt1 + ct
として、初めて値が固定されて求められる。
 これにより、エルゴでe0、シンチでr0の下での最適行動が決定でき、同様にしてエルゴでe0、シンチでr1の最適行動も求められ、エルゴでe0の下でシンチを実施した場合の最小損失が求まる。同様に、エルゴがe0の下で、心カテを実施した場合の最小損失が求められ、エルゴでe0の下での最適行動が決まる。同様にエルゴでe1の下での最適行動が決まり、これより問診後の最適行動が求められることになる。
 以上のように、この最適行動を求めるアルゴリズムでは、検査が実施された上での最小損失を求める処理が、再帰的に呼び出されている。
 この理論に基づいて、診断プロセスをシミュレーションするプログラムを作成した。プログラミング言語としてExcelVBAを用い、各種パラメータをExcelの表の上に与えた。
 このシミュレーションを実行するためには、それぞれの損失の値を具体的に与えなければならない。しかし、これらを客観的な根拠に基づき決めることは難しい。そこで、自然歴(c0,0)を0、疾患を放置した場合に発生する損失(c0,1)を最大の100として、その他の損失の大きさを常識的に受け入れられやすい値に設定した。すなわち、薬物療法のコスト(c1,0)を5、薬物療法を選択した場合の予後とコスト(c1,1)を90、侵襲的治療のコスト(c2,0)を20、侵襲的治療を選択した場合の予後とコスト(c2,1)を50、エルゴのコスト(c3)を1、シンチのコスト(c4)を2、心カテのコスト(c5)を5とした。

3.結果と考察

問診の情報を得た上での労作性狭心症の主観確率を変えていくと、最初の最適行動は変化していく。例えば、この確率が低い時には放置する事が、確率が高い時には侵襲的治療をする事が、またその間の確率の時は、エルゴを実施することが最適となった。即ち、診断が確定しない場合の最適行動は、検査により情報を得てから治療を選択する行動が採られた。また、一連の検査が実施される場合、侵襲度の低い検査から順に実施されその逆のケースは無かった。このシミュレーションで得られる診断プロセスが最も合理的であるかは別として、少なくとも専門医の視点から非合理と考えられるプロセスは無かった。
 この論理では、それぞれの損失の値を客観的に求める方法が無いことに最大の問題がある。この値は、治療や検査にかかる費用や予後等の客観的に求められる要素も含まれるが、最終的には患者それぞれの価値観により左右される。この事は逆に、正しい診断プロセスは患者の価値観により左右され、絶対的なものが存在しないことを意味している。また、本法では一連の検査の結果より得られる主観確率を検査の条件付き独立性を仮定して求めたが、この事は一般には成り立たない。しかし、一方で損失関数が正確には求まらないのであるから確率もあまり正確に求める必要は無いと考えられる。
 診断支援システムに、プロダクションルールやフレームワークを用いる手法が知られているが、これらの手法で今回の問題を解く為には、多くの知識が必要となる。本法は、比較的少ないパラメータの設定だけで専門医の診断が模擬される事から診断支援システム実現の新しい手法となる可能性があるといえるのではなかろうかと思われる

図表


参考文献



Microsoft Access TO HTML Converter.Medical Informatics,Shimane medical UNIV.