阪大病院の歴史
天保9年(1838年) | 蘭学者 緒方洪庵が「適塾」を開塾 |
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【大阪市中央区北浜に現存する適塾】 ◆適塾について 大阪大学ホームページをご覧ください。>> (拡大写真) |
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明治2年 | 現在の大阪市中央区上本町大福寺内に政府直轄の仮病院を設置 |
【明治2年ごろの様子】 ◆上本町4丁目の大福寺に開設された仮病院での集合写真。医員や医学伝習生らは髷を結い、帯刀しています。>> (拡大写真) |
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明治12年 | 現在の大阪市北区中之島に病院を新築し、大阪公立病院と改称 |
明治13年 | 府立大阪病院と改称し、府立大阪医学校を設立 |
【明治30年ごろの様子】 ◆北区常安町(現在の中之島付近)に移転し、大阪公立病院と称しました。モダンな建物は当時話題となりました。 >> (拡大写真) |
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大正4年 | 府立大阪医科大学と改称 |
大正8年 | 大学令により府立大阪医科大学を廃止し、大阪医科大学となって病院もこれに準じた |
昭和6年 | 大阪帝国大学が創設され、大阪医科大学を移管して医学部と改称。その際、大阪帝国大学医学部附属医院となる |
【昭和11年ごろの様子】 ◆堂島川に架かる田蓑橋の上では馬が荷車を曳いています。>> (拡大写真) |
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昭和22年 | 大阪帝国大学が大阪大学に改められ、大阪大学医学部附属医院となる |
昭和24年 | 医学部附属医院を医学部附属病院と改称 |
昭和39年 | 本院改築第1期工事(病棟)完成 |
昭和41年 | 本院改築第2期工事(病棟)完成 |
【昭和42年ごろの様子】 ◆昭和11年ごろと同じ角度からの撮影。病棟の幅はおよそ250メートルもありました。>> (拡大写真) |
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昭和45年 | 本院改築第3期工事(診療棟)完成 |
昭和48年 | 本院改築第4期工事(診療棟、車庫守衛棟など)完成 |
平成5年 | 現在の吹田市山田丘に新築移転。同時に微生物病研究所附属病院と統合 |
【平成5年の様子】 ◆移転当時は敷地の緑もまばらで、モノレールはまだ開通していません。 >> (拡大写真) |
【令和2年の様子】 ◆病棟屋上ヘリポートにはドクターヘリが出動に備えて待機しています。>> (拡大写真) |
【令和2年の様子】 ◆正面玄関側(モノレール駅側)からの写真。画面右の駐車場の場所が令和7年にオープンする統合診療棟の建設予定地です。>> (拡大写真) |
外来受診のご案内
診療受付時間
初診 | 午前8時30分~午前11時00分 |
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予約再診 | 午前8時30分~午後3時00分 |
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